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恵方巻き

節分の行事については、鬼のお面をかぶって豆まきをした子供の頃の楽しい思い出があります。

「福は内、鬼は外」のお決まりの掛け声は、多分幼稚園の先生に教わったような気がします。あとから、家中にばら撒かれた豆を、親と一緒に掃除をしたり、弟と豆をぶつけ合ってケンカになったりと、そんな個人的な思い出があります。

ところで私は関西在住者なのですが、少なくとも成人になるまでは恵方巻きの存在を知りませんでした。社会人となって就職して、大阪方面で働くようになってから、この行事食の存在を知りました。

また、以前から「太巻きのまるかぶり」という言葉はよく耳や目にしていましたが、個人的に恵方巻きという言葉遣いを覚えたのは、ここ10年数年くらいの間だと記憶しています。

節分は立春に行われます。

私たちの国には、春夏秋冬と大きく分けると4つの季節があります。
そして、この季節の区切り目を「節分」と言います。

具体的には「立春、立夏、立秋、立冬」のあたりですね。
ちなみに、豆まきをする節分の日(2月3日)は、立春の前日にあたります。

そもそもは節分は、宮中行事のひとつとして行われていたそうですが、それが、一般の民衆にも広がっていったようです。特に、春の始まりを告げる立春については、生の息吹を感じさせる季節の変わり目であり、運気を呼び込み、や家内安全・無病息災などを祈願する意味で、盛大に行事を行うようになっていったと思います。

行事食について

節分の日には、様々な行事が行われています。

全国的に広範囲に渡って行われているのが、炒り豆を撒く「豆まき」です。これには、邪気をはらう意味があるそうです。鬼の扮装をした人に向かって撒くのは、鬼を邪気の象徴に見立てているからですね。また、炒り豆は、撒くだけではなく食べます。この場合、年齢よりも一粒多く食べる事があります。

また、鰯(イワシ)の頭を玄関先に置いたりする風習も古くからよく知られています。しかし、住宅事情などのせいもあってか、減りつつあり、その代わり行事食として食べる習慣が根付いてきたとも聞きます。ちなみに元来は、鰯の臭いが、邪気を追い払うといった意味合いがあったそうです。

ところで、節分の行事食として年々全国的に知られるようになってきたのが、恵方巻きです。しかし。冒頭にも記しましたように、私は関西に在住しておりますが、この「太巻きまるかぶり」の食べ方については、大人になるまで全く知りませんでした。

由来・発祥

恵方巻きを節分の行事食として食べる風習については、幾つかの由来や発祥に関する説が入り混じっているようです。しかし、関西がその発祥であることは、ほぼ間違いないようで、特に大阪の商人が広めた説がよく知られています。

その発露は江戸時代の末期頃に遡り、そして、現在のように太巻きを食べる習慣が、大阪を中心とした関西で根付きだしたのは、1970年代に、大阪海苔問屋協同組合という団体が、海苔やお寿司の普及にちなんで広め出した頃だとされています。

その後、コンビニエンスストアが恵方巻き(太巻き)を取り扱うようになり、コンビニが、国内全域にに店舗数を拡大していくにつれて、全国的に認知度が上がり、節分の行事食として食べる方が増えていったとされています。もちろん、グルメ雑誌やテレビ、インターネットといったメディアや、各メーカーの影響もあるかと思います。

恵方巻きの食べ方

おいしく自由に食べれば良いような気もしますが(笑)、この行事食の食べ方には、こんな作法があります。

・喋らずに黙って食べる。
・太巻きを、そのまま切らずに食べる。
・今年の方角(恵方)にからだを向けて食べる。

基本的には、以上の通りです。おごそかに粛々と食べる感じでしょうか。
この食べ方を初めて知った時、「家族みんなで黙って食べる」シーンを想像して、ユーモラスに感じました。何か心にその一年の願い事をしながら黙々と恵方巻きを頂くのも良いかもしれませんよね。

今年の方角は

2016年(平成28年)の歳徳神の鎮座する方角は、丙の方角(およそ南南東)です。従いまして、今年の恵方巻きを食べる際にからだを向ける方角は、南南東という事になります。ちなみに、2015年はほぼ西南西でした。

ところで、歳徳神とはどんな神様でしょうか?歳徳神は、陰陽道や占いで御馴染みの九星術(古代中国が発祥)に基づく方位神のひとりです。方角的な吉凶に関わっている神様で、歳徳神は吉の方角にいる神様です。ですので、この歳徳神の居る方角を「恵方」と言うのですね。イラストを見てみると女性神です。また10年で一回りするそうで、「2020年の今年の方角」は、西南西になるようです。

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